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寄せ鍋の餌食

何色

皆、なぜ文字を綴るのか?私もこのように文字をサーバーに預けている、自らの生活を晒している。なぜだ??文字を綴ることは、落ち着くからか?否、落ち着かないどころか不穏な気持ちになる。なんだか悪いことをしているような気分になるところもある。

面白い文章を読んでは、ああ、こいつもあいつもどいつも面白え。まあ面白いことで溢れかえっている。隣の芝生を超えて辺り一面、世界が青い。私だけが肌色、皆真っ青だが大丈夫だろうか、正気か?

 

そんな真っ青な世界観を持つ弱者、なぜ文章を書くのか。書き出したら終わりを作らないことには文章が一生終わらない。その内、なんやねんや書くなら面白いことかいたろ?とわけもわからない意志なども湧き出でる。普段、無意識的に押し込めている本心を書くことで、何か後ろめたさを感じる時もある。もちろんもっと単純な気持ちや肯定的な気持ちもある。文字を綴る時はなんとなくだが、弱くも強くもいられる気がするのだ。中性になれる気がするのだ。もしそれが思い上がりだとしても、少なくとも気分だけは中性になれる。

 

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一つ。嘘をついたが、私は肌色ではなく黄色だ。嘘みたいな話だが、かぼちゃの煮物を一年以上毎日食べていたら黄ばんでしまったのだ。現在は医者からかぼちゃを禁じられている。

 

  でも

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やっぱり

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やっぱり

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 でもやっぱり

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やっぱり

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毎日同じものが食べたい

 

食べたいものを食べるのが一番健康で最高。何を食べるかを毎日考えるよりも、これと決めたものを食べ続ける方が断然幸せで快楽だ。ケーキは大丈夫だ、色々な色がある。黄色だけでない点、医者に示しがつく。ただ珈琲は焦茶一色だが大丈夫だろうか?

 

あとたまにケーキを食べに行くスターバックスのことなんだが、オーダー通す声がでかすぎる。誰も聞いてないってことは分かっている。が、これから人が何を飲むのかをあんなにも大声で言わんでも良いのではなかろうか…。食べるもの飲むものにも守秘義務があって欲しいな?どうか。

 

 

 

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あらいはま2号は税込3240円

 

終り

ちんすこう

 

無性にちんすこうが食べたくなる人は頭が腐っているそうです。

なぜなら頭が腐っていない人は無性にちんすこうを食べたくならないからです。

 

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ちんすこう食いてえんだ

 

修学旅行で沖縄に行ったけれどやっぱり楽しめなくて

暇つぶしにちんすこう食ってた気がする。

 

3人の男と関係を持っているという話を、なぜかあんまり喋ったことなかった私だけに教えてくれた女の子の話は覚えてる。一人だけで抱えきれず誰かに言いたかったのだろうか。誰にも言わなそうで害がない私が選ばれたんだろうなと思う。今日まで、誰にも言わなかったよ。

 

夢でちんすこう食ってきます。

 

4/18 19:00

食えませんでした。

かつ丼

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朝起きて身体の痛みで一日が始まる。これがびっくりするくらい痛てえ。橋本病が有力らしい。人間は痛みとは対等ではないようで、じっと耐えるしかなくなる。音楽は聴けるが頭痛がしてくる。また違った種の痛てえが爆誕する。本もろくに読めない。文字を追っていると、文字が逃げていく感じだろうか。文字は逃げねえよくそがと誰か言ってやってくれこの女に。

 

本は自分なりのベストタイミングで読めると凄く良い。基本、言葉が感情を如実に再現できることはなくて、多かれ少なかれ差異は生じる。小説に関してはそのまま事実や本質が文章として一言一句語られてるものではないからその点、なんら問題はない。読書してて疲れたらケーキ食べたり飴とかを噛んだりすればいいし、なんならいつでもやめていい。やめてもいいのは本当に最高だ。やめてもいいっていう事実こそ本を読む行為における立役である。対人関係と同じで本もほとんどが相性とタイミングだと思う。そもそも人が作ってるものだしな。

 

映画はネタバレなどあらかじめストーリーを知っていないと見れないことが多い。多いというかほぼ見れない。でも本は言葉の意味さえしっていれば、想像力を欠いた私でも読める。なんとか読もうとする姿勢さえ捨てればそこからやっと自分の読書を始めることができる。遅かったな、私の読書。

 

 

 

なんか面白いなというだけで、一週間くらいその小説の感覚が残ってることとか結構ある。麻薬とかまではいかないが、眠気覚しの珈琲とか朝一番で食べるバナナくらいの作用はある。どうだろうか、この例え。しっくりこないだろう。私もしっくり来ていない。頭、腐っているのでなにか分かり易く伝えようという試みが過ちとなる。文章、下手なので音声でも録音して流したほうが伝わりやすいのかもしれない。聴くか?私の風邪ひいているのかと思わせる安定感のない低音の声を。ちなみにどれくらい不安定かというと、アイスコーヒーを頼んでもホットコーヒーが出てきたり、レジ横の在庫を確認してから豚まんを頼んでも「申し訳ございません、そのような商品は取り扱いがありません」と言われるくらいにはひどいものだ。逆に聴いてみたいだろう。聴かせません。

 

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いろいろ歪んでいるので名札はチェックする。

家ついたら忘れるけどな。

お前は豚田だ。

 

 

全部吸う

吸引をする機会が増えた。病院で診察が終わった後、大抵の場合は吸引をしてからお会計という流れになる。

 

看護師さんに楽に息しててくださいねと言われ吸引が始まる。吸引器からはもわもわと気体がでてくる。早い段階で自分の自然な呼吸スタイルを失念する。

 

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少し時間が経過するにつれ、これはなるべく全部吸ったほうが良いのだろうという気持ちになり、吸うに重きを置く。しかし人間、どうしても吐かなくてはいけない。ということで吐く。すると体内に取り込まれなかった気体らは吸引器の中で行き場を無くし、消滅する。貧乏性だろうか、勿体無い気持ちになる。今度はなるべく長い時間吸い込むようにする。繰り返す。

 

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そうしているうちに、吸引器の恩恵を受けられたのか分からないまま自動で電源が落ちる。終わった後なんとなく看護師は私に冷たい気がする。

 

病院帰りはなぜかやんわりと自尊心が傷ついている。

得体の知れない

この家に住んでから二年経過するが、ある時から換気扇のところにいつもコウモリが挟まってないかなぜか無性に不安になって何度か確認してしまうようになる。

本当にコウモリが挟まっていたらそもそも換気扇が回らないことも分かっている。でも今日も挟まっている気がするし、明日も挟まるんじゃないかと思っている。

 

同居人は、トイレにいつもだれか待ち構えているんじゃないかという予想があるらしい。変に潔くトイレのドアを開ける様に合点も行く。

 

換気扇に関しても多分トイレに関しても、だれかいたらいたで、「あ、やっぱりいたか」で納得することができる。

というより何かがいても大丈夫なように、順応していくという姿勢なのだろう。打撃を軽減するためのクッション材を心理的に生み出している腰抜けだ。腰抜けは腰抜けと結構相性が良い。というか腰抜けとしか引き合わないのかもしれない。

 

トイレには何かいるなんて思ってなかったけれど、いる可能性を知っていつからかわたしもトイレのドアを開けるときに凄みが増した。

どうせ、なにかいるんだろうという潔さを持ってトイレに挑む。もちろん何もいない。あるのはたまに流れていない私の便だけだ。

コロコロ便しか出せない同居人に「流れていない」と指摘され、発覚した。これもまた強迫的な要素の一つで、流れているかを何度か確認するようになった。

 

なにも気にせず怯えず生きてみたい。おしっこを浴槽でしていたあの頃に戻りたい。