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寄せ鍋の餌食

SUNDAYをでっかく掲げる

今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。私の髪はうねってる。今日は髪の毛を抜いた。

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ゲーマーである父親の遺伝で天然パーマを受けついた。私は自分の髪を説明するときに天然パーマというと聞こえの良さに依存しているが、実際にまとまりのないぱさついた縮れ毛だ。縮れ毛ってなんか卑猥じゃないか。卑猥だ。

街を歩けばSUNDAYを胸に掲げた女性とすれ違う。そうか今日は日曜日だ。すげー正しい。大正解。いつもの森永のビスケットサンドを食べて電車に乗った。the north endを聞く。カッティングが心地よい。ノリノリでミルク風味の飴を3粒続けて噛み砕いた。


生きるためにはお金が必要であり、どんな人間でも労働と距離をおくことはできない。笑顔を浮かべて居場所を作り、企業に費やす時間に意味をいかに持たせようと努力をするか、もしくはお金のためと割り切って、企業に労働力を売りひたすらにお金を得るか。

いずれにせよ、我々は生きている間長い夢を見ている。息絶えたときにやっと目が覚め、本来の”無”に帰す事ができるのだ。

何に重きを置くか、すべてすべて自分自身の自由だ。愛に生きようが仕事に力を注ごうが、アニメにどっぷり浸かろうが、それもまたそれぞれの在り方であって、誰にも侵す事はできまい。

 

飴も噛んだし爽快と快感でいっぱい。そんな気持ちで電車では労働について一生懸命考えて、家に帰ってブログで披露。現実でなかなかうまくいっていない人の生き方を、私はまさにしている。情けない限りだ。この情けなくしょぼい人生でも、まだ死んでないから生き続けなきゃいけない。

この日はバイト先で確か、からしをはんぺんにつけて食べた。何つけてもいいから、とにかく生きなきゃいけない。友達はいない。ネットに触れてから「死にたい」をよく見かける。死にたい人は案外多い。でも死にたいは生きるための言葉で、生きる上での拠り所で、砦でもある気もする。生きることを「死にたい」が支えているのだ。生と死が隣り合わせってこうゆうことだね。違うね。

まあでもネットが人を生かしてくれるすごい時代なのはそうだ。現実で死んでもネットでちょっと生き返れる。ちゃんと生きている人ほど絶対現実で死ぬ。死んだ分はネットとかやって、こんな文章のっけたり写真を撮ったり絵を描いたりしてちゃんちゃらおかしくなったら良い。私たちは生きる手段を選ぶ必要はないのだよ。(だよね?)

死にたいっていう感情や意思が仮にあっても死ぬ正当な理屈は見つからない。

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生きるしかない、生きちゃってるし。