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寄せ鍋の餌食

得体の知れない

この家に住んでから二年経過するが、ある時から換気扇のところにいつもコウモリが挟まってないかなぜか無性に不安になって何度か確認してしまうようになる。

本当にコウモリが挟まっていたらそもそも換気扇が回らないことも分かっている。でも今日も挟まっている気がするし、明日も挟まるんじゃないかと思っている。

 

同居人は、トイレにいつもだれか待ち構えているんじゃないかという予想があるらしい。変に潔くトイレのドアを開ける様に合点も行く。

 

換気扇に関しても多分トイレに関しても、だれかいたらいたで、「あ、やっぱりいたか」で納得することができる。

というより何かがいても大丈夫なように、順応していくという姿勢なのだろう。打撃を軽減するためのクッション材を心理的に生み出している腰抜けだ。腰抜けは腰抜けと結構相性が良い。というか腰抜けとしか引き合わないのかもしれない。

 

トイレには何かいるなんて思ってなかったけれど、いる可能性を知っていつからかわたしもトイレのドアを開けるときに凄みが増した。

どうせ、なにかいるんだろうという潔さを持ってトイレに挑む。もちろん何もいない。あるのはたまに流れていない私の便だけだ。

コロコロ便しか出せない同居人に「流れていない」と指摘され、発覚した。これもまた強迫的な要素の一つで、流れているかを何度か確認するようになった。

 

なにも気にせず怯えず生きてみたい。おしっこを浴槽でしていたあの頃に戻りたい。